中古住宅の「時間」とは何か(3)〜若いアーティストのコミュニティ

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(写真:中崎町 2020年3月3日撮影)

大阪市北区中崎町は、古い長屋をリフォームして、おしゃれで個性的な店が点在している。スウィーツやカフェの店で、女の子のみが寒い外で行列を作って長時間並んでいる店が少なくない。女の子たちは、スマートフォンを見ながら店の場所をみつけて、列の最後尾に近づいて来て並ぶ。これら小さな個性的な店は、インターネットを通じて、彼女たちは情報を得る手段を持っている様子だ。

JRの高架を越えて、新御堂筋を西側に超えると、建物はだんだん大規模になるので、個人のアーティストが手を加えることができる規模でなくなってきて、味もそっけもない都会のビル群だけになる。中崎町の長屋は、間口が昔よく街にあったタバコ屋の窓口くらいしかない店も多い。しかし、小さい建物ほど、アーティストが手腕を発揮することができる手頃なサイズとなる。

古い長屋は、大阪市内にも多数あるが、中崎町ほど若い人が集まるコミュニティはあまりない。ここには、renovationの「コミュニティ」が存在している点に注目するべきである。建築のアートが好きな人は、料理のアートも好きだし、古着をアートするのも好きな傾向がある。そのため、中崎町は、若者がお金をなるべく節約して、クリエイティビティを自由に発揮できる「場」となっている。

ニューヨークのブルックリンのロフトがこのような若者アーティストの「場」である。ブルックリンでは、かつての工場をrenovationして、若者が個性的なリフォームをして自分の住宅を手作りで作る。道に廃棄されている気に入った家具を持ち帰ってリペアして再生する。パリのモンマルトルの丘は芸術家の場所としてもっと盛り上がった地域であったのだろう。

岐阜県の白川郷の合掌屋根は、村人たちがお互いに助け合って「結」というプロジェクトごとにボランティア組織が結成される。屋根葺き名人と、「結」をまとめる村リーダーが現場をまとめる。工務店に施工を依頼したら千万とかかる工事を、お互いに助け合うことで、お金を浪費することなく、厳しい豪雪の冬を越すことができる。

アメリカのペンシルベニア州のLancasterには、Amishという敬虔なクリスチャンの村がある。電気やガソリンを使わず、馬車と自転車で移動する。彼らも家を建設する時は、村の男が集まり、助け合って力を合わせて現場作業をしている。Amishの屋根工事の光景は、日本の白川郷合掌屋根工事の光景と、全く同じだ。

歴史は、進歩発展して前進しているという「歴史観」が一般的である。科学技術が進歩することによって、素晴らしい未来が切り開かれると信じている。しかし、中崎町のrenovation、ブルックリンのrenovation、白川郷の屋根葺き工事、Amishの建築工事から、21世紀の日本の住宅は「歴史」のベクトルは、20世紀の逆さまになるだろう。進歩発展することが素晴らしいと考えることを、やめた方が良い。

 

 

 

中古住宅の「時間」とは何か(2)〜歴史と保守について

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写真(大阪市北区中崎町、202033日撮影)

アメリカ人は、innovationが優れている。シリコンバレーでは、最先端の技術が開発されビジネスが社会のダイナミズムを作る。一方、イギリス人は、アンティークの価値を尊ぶ。イギリスでも産業革命が大量生産の工業化の時代があったが、ウィリアムモリスのArtsCrafts運動が代表する中世への回帰があった。

Modern の語源は、model = 「模型」である。プラモデルPlastic model の素材のプラスチックは、自由自在な造形ができるので、非常に便利な素材だが、言わば美容形成外科のようなものである。本物ではないので、脆い。だから新築の建築物がいつまで価値を持続できるのか疑問である。

西部邁は、本当の「保守」とはprescription「薬局の処方箋」と説明した。つまり、保守とは過去を盲目に追従することではなく、今、この現実の問題を解決しなくてはいけない直近の課題に対して、我々はどう判断するべきか? ABか? その妥当な判断は、歴史によって証明される。つまり、歴史とは「バランス」の実証実験であって、したがって医者が患者にしい診断を下すprescriptionが、歴史であり、西部が言う本物の「保守」である。

仏教では「中道」と言い、中国では「中庸」と言い、ギリシアでは「メディア」と言った。古代の世界の異なる地域で、同じ思想が別々に生じた。これらは、AとBのどちらが良いか?という時、真ん中を選ぶべきだ、と言う意味である。

では真ん中とは何か? (A+B)/2 = 「中道」「中庸」「メディア」ではない。

AとBはいずれも両極端であり選ぶできではない。しかし、両極端の数学的な平均値でもない。正解は、「ほどよさ」「適当」「妥当」「ほどほど」である。

そしてこられは、歴史の経験の積み重ねによってのみ「道」が見えてくる。

中古物件は、過去の人の汗と、自分の汗の対話がある。過去の人が、「この家は、こうしたらいいよ。」「この家は、苦労したよ」と語りかけ、「いや、僕はこうした方がいいと思う。」「1日ペンキを塗ってみたら、足が今も痛いよ」と自分は語り返す。

建築物は、完成された結果ではなく、そこに至るまでのプロセスに意義がある。

今回は、やや哲学の議論になったので、今度は具体的な事例をあげてわかりやすく説明して行きたい。

関連記事:国際比較表

中古住宅の「時間」とは何か(1)〜国際比較から見える日本の新築住宅

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(写真:神戸御影 蘇州園)

日本では、新築が選ばれ、中古が選ばれない2番目の問題は、買主が「新築の方が中古よりも魅力的」だからである。

なぜ欧米先進国は、中古が新築より魅力的なのに、我が国では新築が中古よりも消費者は魅力を感じるのだろうか?

昨日私は、大阪市の中心にある江戸堀を歩いてみた。昭和初期築の長屋もあり、デベロッパーによる10階建以上の新築マンションもある。

ニューヨークから来た私の友人のハーバードの建築学大学院出の建築家が、町家のような長屋木造住宅を指差して、「日本にはあんな美しい建築物があるのに、なぜこんなUglyな新築マンションを建てるのか?」と私に質問して来た。10年以上私は彼の言っていることが分からなかった。アメリカ人建築家の目には、日本の一般的なデベロッパーが建てる新築マンションは、魅力的でないばかりか「Ugly」だと言うのである。

新築は、傷や汚れがない。配管が老朽化している心配もない。清潔である。しかし、どの物件も同じ玄関ドア、同じ壁紙、同じキッチン、同じ床、同じ浴室、同じトイレではないか。没個性的である。買主は、型にはめられた住空間に押し込められる。買主が物件に変更を加えようと思っても、新築購入に充てた費用がいっぱいいっぱいのため、追加で投資することができない。そうして消費者は、画一的なつまらない住宅の中で、重いローンの返済に追われて、ため息をつきながら一生を過ごす。

私の事務所は、堂島川沿いの中之島にある。休日の都心は人が閑散としている。お天気の良い日曜日に、「今日は日向ぼっこして、コーヒーでも飲んでゆっくりしたい」と思って、どこが良いか考えてみて、ほたるまちの川沿いのテラスのあるカフェに入った。街には人が歩いていないのに、店内はお客さんが満員であった。

(写真:福島1丁目 ほたるまち沿いのカフェ)

「ゆったりとした落ち着いた空間」は、私だけでなく日本人の多くの人が求めているのだ。それにもかかわらず、新築マンションの住空間は、未だ非常に貧しい。

神戸市御影に、「蘇州園」という建物がある。(写真)

https://soshuen.jp/

日本生命の創業者が建てたという木造和風建築で、築80年。現在は、オーナが代わり、レストランや結婚式場などに利用されている。庭園は、四季折々の木が一本づつ手入れされている。

従業員さんや庭師や大工や清掃員や建築士など多くの人がこの建築物に携わってこられたことが伝わってくる。

また、ここに外国などから招かれた来客を接待した歴史を感じる。どんな国際的な出会いがここにあったのだろう。レストランのウェイターさんは、いろいろなエピソードを話してくれた。

建物にHistoryStoryがある。これが新築住宅よりも中古住宅が選ばれる理由である。

関連記事:https://www.dios.co.jp/ja/archives/3214

「使い捨て」られる住宅~国際比較から見える日本の新築住宅

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(写真:大阪市の江戸堀、2020年3月撮影)

関連記事:https://www.dios.co.jp/ja/archives/3214

前回のブログ記事で、日本の住宅は欧米先進国と比較すると、新築が多く、中古住宅の流通は著しく低調であるデータを示した。

この現象の原因を一言で表現すると「使い捨て」だと考えられる。「使い捨て」とは、使い捨てライター、使い捨てコップ、使い捨ておしぼりなど、一度使用したら、洗濯、清掃、修理、変更を行わず、廃棄する。空き缶やペットボトルなどは、一度使用して、廃棄されるが、その廃棄量は膨大である。

実は、建物を解体する際に出る廃棄物は、一般に知られていないが、環境負荷がなによりも最も高い。写真は、本日私が大阪市西区江戸堀で見た光景である。小さい土地で解体作業が行われていた。重機が鉄骨を壊してトラックに積むが、この廃棄物を一体どのように処理するのだろうか?

鉄筋コンクリート建物は、100年から200年もつと言われている。鉄はさびるので、建物の寿命はある。しかし、コンクリートにクラックが入ったときに、クラックを修理する作業を細目にしていれば、建物はまだまだ使うことができる。それなのに、この建物は全部解体されていた。

ここで、「使い捨て」の意味をさらに深く考えてみたい。車でガソリンを使って排気ガスを出すのは、石油という地下資源を燃やして、二酸化炭素を大気中に廃棄するということである。二酸化炭素は、再び戻って石油になることはない。循環していない。これを「使い捨て」という行為で、これを「公害」という。

私は最近、大阪市福島区の現在売り出し中の新築住宅と中古住宅の価格を、地価公示と建物の減価償却をエクセルで分析した。その結果分かったことは、新築の方が、中古よりも、減価償却分を含めると、若干割安であった。

使い捨てライター、使い捨てコップ、使い捨ておしぼりが安いのと同様に、使い捨て住宅は、安くできる構造をもっている。大量生産、大量消費によって、工場で安価な建材を製造を可能にして、熟練した大工でなくても施工が可能にしてコストを抑えることができる。

その安い原価で大量販売することで、景気を刺激することができる。生産者と消費者と景気経済は、恩恵を受ける一方で、人間と社会の環境負荷が増大する。日本の住宅は、「使い捨て」であり、環境に最悪の政策である。

不動産事業者は、この事を理解した上で、戦略を考えるべきである。